絶世の美女として世に知られるのは紀元前エジプトの女王だった クレオパトラと中国唐の時代の楊 貴妃。 楊 貴妃は「傾城」つまり国王がその美しさに溺れて一国を傾けてしまうほどの 美女としてあまりにも有名です。玄宗皇帝が最後に溺愛した楊 貴妃は、 幼名玉環といい719年に生まれ、家臣のクーデターで756年、37歳の時に処刑されます。 もともと玄宗皇帝の第18皇子の妃だったのですが、玄宗皇帝が恋に落ちて、 息子からお嫁さんを奪ってしまったのです。彼女が27歳で、玄宗皇帝が61歳の時です。 恋愛に年齢は関係ないようで、クレオパトラは30歳も年上のカエサルと結ばれています。 楊 貴妃が処刑されるまでの10年間は白楽天が詩で表現したとおりの甘い蜜の ような生活だったようです。西安の郊外に華清池という温泉保養地がありますが、 そこに楊 貴妃がつかったという湯船があります。 大きなタイルばりの湯船で、水泳プールのようにタイルばりの床からすぐ湯船に なっているので、とても深く感じられます。華麗なタイルからは楊 貴妃のあでやかな 色香が伝わってきます。 歴史辞典によると、楊貴妃は肥満で才知があり、歌舞に優れていたそうです。 今風に想像すれば、グラマーで胸の豊かな、妖艶なオペラ歌手か女優のよう だったのでしょう。 ・・・参考資料・・・ 中国語について 傾城の「城」:古代中国では城壁で囲まれたところを国といいました。 傾城(けいせい):漢音で、長安付近の唐代の発音 城(じょう) :呉音で、揚子江下流の南方の発音 日本では漢音が正式の発音とされていますが、中国のいろいろな 地方出身の中国人が書物を携えて日本に来て教えたので、いろいろな 発音が日本に伝わっています。北方と南方では音韻体系が全然違うので、 呉音と漢音にわけられたのです。 梔子花(zhizihua、チーヅホア) 記 京都東山連峰の山裾にある泉湧寺(せんにゅうじ)は広い境内の のどかなお寺ですが、ここに楊貴妃観音が祀られています。 |