毛 沢東が司馬 遷の言葉「人はもとより一死あれどもあるいは 泰山より重く、あるいは鴻毛より軽し」を引用しています。 これは司馬 遷が「任安に報ずるの書」(任安宛の返書)で言った 言葉です。毛 沢東は「人民の利益のために死ぬのは泰山よりも重い」 と言ったそうですが、司馬 遷の時代は「人民の利益のために」 などという価値観のない時代ですから、司馬 遷は漢の武帝の怒りを 買って宮刑に処せられた自分の命の重さを量っていたのでしょう。 宮刑(去勢される刑罰)とは男子としてしかも士大夫階級 (当時の知識階級)として最も不名誉な刑罰です。 父親は歴史をまとめる仕事「太史令」をしていたので、 司馬遷も父の死後その仕事を引き継ぎます。そして生まれたのが 「史記」です。この史記を著した司馬 遷の命は泰山より はるかに重かったのではないでしょうか。 参考書:「史記の世界」武田泰淳著 梔子花(zhizihua、チーヅホア) 記 【 史記の構成 】 ■本紀 12編:五帝本紀・夏本紀・殷本紀・周本紀 秦本紀・始皇本紀・項羽本紀・高祖本紀 呂后本紀・孝文本紀・孝景本紀・孝武本紀 ■列伝 70編:伯夷列伝・老子韓非列伝・ 太子公自序など ■世家 30編:呉太伯世家・斉太公世家・ 魯周公世家・ 孔子世家など ■書 8編:礼書・楽書・律書・歴書・天官書・封禅書・河渠書・平準書 ■表 10編:三代世表・十二諸侯年表・ 六国年表 ・秦楚之際月表 漢興以来諸侯王年表・高祖功臣侯者年表・恵景間侯者年表 建元以来侯者年表・ 建元巳来王子侯者年表 漢興以来将相名臣年表 |