李 時珍という名前は、日本では漢方の専門家以外には一般には ほとんど知られていませんが、中国では低学年の教科書にも載っていて、 小学生も知っている人です。 医者でもありましたが、「本草綱目 (ほんぞうこうもく)」を独力で完成させた著者として有名です。 (1518〜1593) 「本草綱目」とは、植物、動物、鉱物の処方を網羅したもので、52巻あります。 古来の本草書の不正確さを修正するために李時珍が30年近い歳月を 費やして書き上げ、1578年頃最初に脱稿しました。 李 時珍はきしゅう(湖北省)の人で、祖父、父とも医者であった家系に 生まれました。薬学以外にも「脈学」にも造詣が深く、「奇経八脈考」等の著作 も伝わっています。現在に伝わる経絡や気の元になるものです。 李 時珍の生きた明代は漢民族の王朝、明朝の時代で、14世紀半ばから 始まって17世紀初めに満州族の清朝倒されるまで続きました。 明代は商業も大変発展し、都市も栄え、豊かな市民階級も出現し、 かの有名な小説「西遊記」や「金瓶梅」が書かれて広く流布されました。 朱印船を通じて日本との交易も盛んに行われました。 この朱印船を通じて日本にもこの「本草綱目」が伝えられました。 そして、日本でも刊行されるようになり、日本の漢方医学の発展に 大変役立ったのです。 梔子花(zhizihua、チーヅホア) 記 |